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明治維新150年の日帰り旅

昨日は山口市の山口博物館まで宇宙兄弟展を観てきたんですが、

せっかく3時間かけて山口まで来たので、ついでに、博物館のおとなりの埋蔵物センターへ、ここは発掘された土器があるだけ、、だけど、山口県内で行われているイベントの資料を入手。

今年は明治維新150年目にあたり、山口県内で数多くのイベントがなされているようです。

広島県でもテレビCMなど流してくれたらいいのに、、ホントお隣の県なのに知らなかった、、

 

つづいて山口市歴史民俗資料館へ 入館料100円

ここでは維新150年記念として”長州藩のイメージ戦略”と題した展示がなされていました。

当時発行された浮世絵や瓦版などが展示されていて、庶民に維新がどのように伝わっていったのかを学びました。

先日の福山歴史博物館で、江戸時代の発行物は全国展開などはなく、発行した版元でしか買えないものだったと学んだので、長州で発行されたものは長州目線の内容。全国各地の江戸時代の発行物を調べるのも、今のようにテレビなどで画一された世論でなく、地域独自の視点の元に作られているのだから楽しいかと思ったりしました。

 

で、次に、ココから1時間くらいで行ける東行庵

東行庵とは??私も知りませんでした。

平たく言えば、騎兵隊で有名な高杉晋作の墓所です。

高杉晋作が剃髪した時の号を東行と称したため、東行とは高杉晋作のことを指します。

長州から京は東方向になるので、東に行くと単純な命名どなとおもったり(笑)

で、晋作の遺言で死後に騎兵隊の陣所に近いこの場所に葬ってほしいとのことだったようです。

で、高杉晋作の愛人だった”おうの”が出家して晋作を弔ったそうです。

 

高杉晋作像、安部総理が寄進。維新の英雄は今なお長州人の誇りですね。

てか、内閣総理大臣として寄進してるから、費用は国費か?官房機密費かな?(笑)

此処は、資料館(入館料-学割200円)もあり、高杉晋作のお勉強を。

てか、幕末に活躍した人は、20代前半から藩政に大きな影響力を持っているんですよね。今なら信じられんですよ。大企業や官僚のキャリアでも、下済み積んで50代で役員級になれたら優秀だし、異例の出世でも40代。

年功序列でなく、身分制なら、藩主が有用な人材を登用する気になれば、若くても藩政の中核として抜擢されるんですよね。吉田松陰や桂小五郎なども20代で活躍しましたからね。

明治維新の一番の立役者は、若い優秀な人材を信頼した長州藩の毛利の殿様だったかもしれませんね。藩士が失敗したら藩がお取りつぶしですからね。実際に朝敵になったり、幕府から2度の長州征伐を受けたりと存亡の危機だったわけですから。

並みの殿様だったら、名門の毛利家の存続を一番に考え、保守を考えるんだと思うのに、、

長州の殿様、”そーせい候”と言われたように、何を言われても”そーせい”と答えたらしいですが、昔、この話を聞いたときは無能な人だったんだと思っていたけど、よくよく考えたら、人事を尽くして天命を待つのとおり、肝の据わった優秀な人だったんだと思うよ。

と毛利の殿様に思いを馳せたので、

東行庵からさらに1時間ほど走って、防府市へ

着いたのは、この立派な御門

この門から入って約500m行くと邸宅あり

毛利家本邸

毛利家の邸宅が防府??とおもったんですよ

長州藩の藩庁は山陰側の萩の萩城。幕末に藩庁を山口市に移したんだけど、なんで防府かと思っていたんですよ。

大名家の毛利家の邸宅でなく、明治から大正に建てられた毛利侯爵家の邸宅だったんですね。

元々は小さな集落が有ったらしいのですが、それを退かせての造営。

戦国や江戸初期ならいざ知らず、侯爵家といえども、これだけに邸宅を大正時代に作れるとは、ものすごい力が有ったんだとびっくり。

 

ここは県や市などの公営の施設でなく、運営は公益財団法人毛利報公会、代表者は毛利元敦となっており、毛利家の私有施設のようです。

毛利博物館と毛利庭園を一般公開されているんですが、この時間は16時(開園は17時まで)を超えていたので、庭園のみ

写真では奇麗な庭園に見えますが、旧大名庭園などで現在は自治体が管理している庭園と比べると見劣りがします。が、この時代の侯爵家の絶大な財力と力を思い知りました。

 

まだまだ、おとなりの山口県でも行ったないところが多いので、またゆっくり行きたいと思います。

 

車中泊は夏は暑さで寝れないと思うし、窓を開けて寝る勇気がないから、自粛しております。

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