リタイア民は無欲で無気力になっていくのかも

日曜の昨日は薄曇りの日。しかし今年の冬は雪がほとんど降らないよなぁ。

東北とかはかなり降ってるとかマスゴミが煽りまくってるけど、よくもまぁ雪が降って当たり前のところが降ったと大騒ぎできるモノだと感心してみたりと。普段は降らないところが降ったら大騒ぎしろよと思ったり。

私は年末年始の暴飲暴食でカロリー過多になってるのと、なんか知らんけど正月に世間がわちゃわちゃしてるのをみてたらストレスが溜まってきてるのでそれを発散させにお山へ。

山頂にあるお寺で手を合わせてみた。

ココは空海さんの真言宗のお寺で空海さんの石像がいくつかあったりと。

そーいやー空海さんの像はあちこちでよく見かけるけど、同時代の天台宗の最澄さんの像って見た事ないよなぁと。もしかして空海さんはオレがオレがというタイプで最澄さんは奥ゆかしいタイプだったのかな?とか思ったり。

空海伝説は沢山あるけど最澄伝説はあまり聞いた事ないしね、、だけど位階的には同格なんじゃなかったかな?高野山は今のマスゴミのように煽り宣伝がうまかったのかな?空海伝説にはデマの拡散だろというのも多いからね。まぁ、伝説と言うのは誇張して拡散というモノなんだけど、、

とりあえずお寺だからパンパン🙏は無しで手を合わせてお参り。

今日から世間は仕事始めだから私もリタイア民としてしっかりとゴロゴロしなきゃと思いながらも、よく考えたら今年の抱負とか考えてないよなぁ、、

アーリーリタイア生活が長くなると、特に何がしたいとかいう俗世の欲というのが消えてきたような。目標もなくダラダラと生きているだけならクソブクロだと言われそうだけど、、

しかしそれでは生活にメリハリがつかないと思ったりしたけど、メリハリをつける必要ってある?という気もするし、、

基本的に無気力になってるような、、いや、言い換えたらサトリを開き始めてるんじゃないのか?別の言い方にすると覚醒し始めてるんじゃないのか?とか、、

確かイスラム教のアッラーは洞窟でサトリを開いて天の声が聞こえたんだったよなぁ、、ブッダもそんな感じでサトリを開いたんじゃなかったっけ?日本でも石の上にも三年という言葉があるし、坐禅とかでも何にも考えない感じない無の境地を味わうモノだし、、

やはり欲が無くなって無気力になっていってる私はサトリを開きつつあるんじゃなかろうか、、

そうすれば教祖になって、お布施ウハウハで信者の美女を、、、という未来が見えたりと、、

やはり私のサトリへの道はまだまだのようで。

しかし、今年の抱負というか目標というかやりたい事を考えなきゃ、、とりあえず九州国立博物館で今月末から始まるハニワ展に行きたいなぁと思ってる。

コメント

  1. じんふ より:

    無欲で無気力か、平穏でいいじゃないかw
    うらやましいよ