晴耕雨読とはブラックのための標語か?

火曜の昨日も雨、、雨、、雨。

2日連続で家から一歩も出ない完全引きこもり。時折、カーテンの隙間の窓から外を見て雨がどれだけ降ってるのかを確認したりと。

お友達はネットフリックスさんとYouTubeさんとアルコール君という典型的なクズ人間生活。

引きこもってるから他人に迷惑かけない人畜無害なクズということで、、

ジメジメし始める時期なんでこういう日に家の中の水回りとかの大掃除とかやれば良いんだろうけど、クズ人間だから何にもしない。何にもやることないのに面倒くさいという感情だけは持ち合わせてる、、

気分転換にショッピングモールとか行こうかとか思ったけど、特に買いたいものも無いし、、図書館でもと思ったけど駐車場から雨の中を歩かないといけないし、、とか、、何をするのも面倒くさいしか無いんだよね。こうやって人はクズ人間になっていくんだろうと、、

しかし、雨の日は何にもしないのがイキモノの当然の姿なんじゃなかろうか、、石器時代とかに雨の日に獲物を獲りに行ったかといえば言ってないだろうし、弥生以降の農耕も雨の日は家の中に引きこもってただろうし、、要は晴耕雨読というヤツだよ。

晴れの日は外で働いて雨の日は家の中で学ぶというヤツ。

昔の人は良いことを言うなぁとと思いきや、それだといつ休みんだよ!完全なブラックの法則じゃ無いか。と思ったり。

てか、朝から晩まで働かなきゃいけないようになったのは産業革命以降だよね?それまでは午前中は働いて午後は自由に過ごすと言う感じだったと思うんだけど、、

なぜに人は朝から晩まで働くようになったのか?

まぁリタイア民をしてる私からしたら、朝から晩まで働いてる奴らのおかげで、社会が回って生きていけるんだから晴耕雨読をやってるヤツらに感謝しなきゃだなぁ。

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