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そーいえば、あーいえば

オウムの麻原の遺骨が次女に引き渡される事になったとか。

なかなか宗教というものは盲信的な信者というものがいるようで、、

古代から、命よりも信仰の方が大事だという考えの人がおり、それらの人を利用する人も多い。ある意味、戦中の日本もそれに近い状態だったのかも。自分の命よりもお国が大事だと。

何年か前にビンラディンをアメリカ軍の特殊部隊が急襲して殺害したときは、ビンラディンの遺骨は海で船から散骨したと思うが、これも信奉者に聖地を作らせないためだったとか。

麻原をいまだに信仰のしてる人が多いのが信じられないんだけど、、

だけどイエス・キリストも罪人として処刑されたのが、弟子達の布教で死後200年くらい経ったらローマの国教にまで広まったんだよな。まあ、あの頃は統治者が宗教を利用して国をまとめようという要素も強かったんだろうけど。。その後のキリスト教は中世には信仰の名の下に異教徒を虐殺したり、十字軍では、エルサレムを侵攻した時にはイスラム教徒以上に現地のキリスト教徒を虐殺したという歴史もあるけど。

宗教とは、一種の方便でしかないんだよなぁ。

戦国時代に日本に来たイエズス会、宗教の名に隠れて奴隷商人が多くの日本人を人身売買して海外に売り飛ばしていたのも事実。当時のインドのゴアでは日本人奴隷が何万人もいたとか。秀吉が怒ってキリスト教を禁止したというのは有名な話。

 

オウム真理教も、もしかしたら数百年後には更に勢力を伸ばして国教になってるかも。。

そうなれば、あーいえば上祐が、聖人の列に並ぶのかな。

上祐は殉教してないからならないか。。。

 

コメント

  1. deds より:

    人々を統治するにはなんかの心理的な仕組みがいるんだろうなあ
    現代では主義といわれるのもその一つなんだろうと思うが

    • たなお より:

      民衆を同じ方向に向けさせるのは統治者には都合が良いんだろうね。
      その意味ではコリアの嘘で固めた反日政策は素晴らしいのかも。