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2019夏の四国車中泊の旅2日目前半

真夏の南国四国への車中泊の旅、2日目

昨夜は道の駅 なかやまの里での車中泊

暑さ対策ばかり考えていたけど、夜中の2時ごろに寒くて目が覚めた。後部座席の窓を開けてカーテンをして寝ていたのが失敗のようで。

で、窓を閉めて断熱サンシェードをすべての窓に設置。マットレスに敷いていたひんやりパットを外し、長袖の薄いアウターを着てなんとか寝れた。

朝起きて断熱サンシェードをしていた窓に一面の水滴が付いていたことを見ると夜中はかなり冷え込んでいたようだ。

うーん、なんとか手持ちのもので寒さ対策ができたが、思いもよらない結果に。

夏は場所によっては冷え込むということをみにしみて学習しましたよ。

ちなみに、この日の車中泊の車は私以外に二台

翌朝は6時過ぎに目が覚め、まずは大洲城へ。現地に着いたのが8時過ぎ。この時間から暑い。

大洲城は小高いやまの上で天守は昭和なってから木造で再建されたもの。天守台の石垣も壊されていたため、天守台からの復元とか。

復元天守なのが残念だけだ、美しいお城ですね。この地は一時期、昨日観に行った今治城を築城した藤堂高虎が治めていたとか。

この城は戦国以前からあったのはわかっているが、いつ頃、今の形に明確な資料はないけど、やはり築城の名手の高虎が美しく整備したのではないかと言われているとか。

しかし、朝から暑い。夕方のニュースでこの日の大洲は今年の四国最高気温37℃を記録したとか💦

 

次に向かった先は、伊予宇和島。

伊予宇和島と言えば、仙台伊達家の独眼竜伊達政宗の長男(側室の子だったから本家は本妻の子が継いだ)が分家して、家康から十万石を与えられて伊予宇和島伊達家を起こし、

幕末には、福井の松平春嶽、薩摩の島津斉彬、土佐の山内容堂と並んで4賢公として朝廷からも信頼の厚かった伊達宗城を輩出したお家柄。

幕末の戊辰戦争時には、伊予宇和島の伊達家はかなりの活躍をしましたが、

本家の仙台伊達家は60万石をこえる石高であったが、平和な260年の徳川時代にすっかり腑抜けになって、家柄で奥羽列藩同盟の盟主になったが、新政府軍が攻めてきたらほとんど抵抗もできなかった軍事的に最弱藩だったと言われている。

まずは伊達資料館へ

やはり、伊達宗城が英雄扱いですね。彼は明治になっても新政府に出仕して、前回大使として日清修好条規をまとめたとか、功績を残しています。

また大名でも明治政府に出仕した人はあまりいないイメージですが、佐賀の鍋島もそうでしたが、有能な人物は重宝されているようですね。

この点が日本がアジアで唯一、列強に蹂躙されなかった所以でしょうかね。明治の元勲たちに感謝ですよ

で、宇和島城へ

10分ほど登城道を汗だくになって登るよやった天守へ

ココは江戸時代の建物が残る現存12天守

階段が急ですよ。角度は70℃ほどあるんじゃないかな?

降りる時は、ちくっと怖い(笑)

一つ

この城も藤堂高虎の築城とか、

四国には高虎の城が多いんですかね?

築城当初は海に面したお城で、お堀は海だったようで、

昨日の今治城と通じるものがありますね。

ただし、今残っている天守は藤堂高虎のものではなく、伊達家二代藩主が作り変えたもので、平和な江戸時代の天守だから白塗りなんですよ。高虎の時代は黒の板張り天守だったようですから。

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