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戦国時代も下請け構造、下請けはより良い元請けを求める。元請けは下請けのゴマスリで引き留めようとする

今日は土曜日だけど午前中は雨予報。

午前中が雨だと山にも行けないしということで、今日は広島県の東部、自宅から下道で2時間強かけて福山市にある広島県立歴史博物館へ

ここは何度か来ていて、私のブログを定期的に読んでいただいてる方からしたら、またかよって感じかも(笑)

無料の講演会ですから、雨で外遊びできない日に来ない選択肢はないかと

この日のテーマは国人領主。

戦国時代は、有力大名に目が行きがちだけど、地元に根を下ろしている国人領主の動向が有力大名の生き死にを決めるんですよね。

今風にいうなら、戦国大名が上場企業で国人領主が下請け孫請企業といった感じ。

中国地方を手中に収めた毛利家でも、国人領主の協力無しにはイクサは出来なかったようです。だから、協力してくれた国人領主にはその都度、礼状を出し、恩賞を出さなければ、国人領主はすぐに離反してしまう。

話を聞いていて、今の上場企業と下請け企業の立場に似ていると思いましたよ。

元請け企業は実は実務能力は全くないから、いろんな分野の専門企業にお願いするしかない。だけど今のような人手不足を言われる時代、元請け企業が横柄な態度を取るなら下請け企業は、ほかのもっと条件のいい企業から仕事を受けるからと、寝返りをする。

戦国時代の大名の譜代の直臣ていうのは少なかったみたいですね。

国人領主のご機嫌とりがうまいかどうかが戦国大名の力になってたようです。

それを考えると、人たらしとして有名な秀吉が天下を取ったのは必然だったのかも。

織田信長が兵農分離を推進して直臣の部隊を作ることによって、戦国の覇者になったのも必然だったんでしょうね。

それに引き換え、毛利は国人領主をうまくご機嫌とりして味方に引き入れただけで、他に有利な条件を出してくれるなら、寝返りは当然という下請け家臣が多かったと言うことみたい。

その時代の背景を学ぶのは、新たな時代認識を学ばせてくれて、認識を新たにできて楽しいですね。

 

ここでのお勉強後は、今日はプチ車中泊の旅へスタート。

福山から3時間かけて今夜のお宿へGO

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