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教科書に出てくる唯一の美少年に会いに。2022正月の九州旅3日目

九州車中泊の旅3日目。

熊本市の道の駅すいかの里植木でお目覚め。明け方からちょっと寒いなぁと思っていたら、車のフロントガラスが完全に凍っているし。気温は0℃だったよ。

道の駅を後にして熊本市街地を抜けて天草へ。

天草に入ると、有明海を挟んで雲仙・普賢岳が存在感バリバリでそびえ立ってる。去年登ったなぁと

天草は島だったんだねと改めて知ったよ。上天草と下天草の2島からなるみたい。

街路樹がヤシの木なんだね。

海とヤシの木の景色を見てたらカリフォルニアみたいだなぁと、、カリフォルニアに行ったことないけど(笑)

初めの目的地は天草四郎ミュージアムへ

 

天草四郎は教科書にでてくる唯一の美少年。江戸時代初期に島原の乱の総大将として祭り上げられた16才の少年。

ここでお勉強して、島原の一揆と天草の一揆は本来は別物だったんだと。島原の一一揆は基本的に領主が年貢率を上げて払えない農民には生きたまま火をつけたりという拷問がキッカケ。天草の一揆はキリスト教への弾圧が厳しくなったことから蜂起して天草の西端にある富岡城を攻撃したけど敗退して、その別々の一揆軍が有明海の談合島で話し合って合流して島原の原城に立てこもって幕府軍と対峙して、結果、皆殺しにされたといつもの。この天草四郎ミュージアムの展示はなかなか面白かったよ。

続いて天草を更に西へ進んで天草キリシタン館へ

ここも天草四郎ミュージアムと同じようなにいようなんだけど、視点が違っていて、なかなか良かった。

次に天草の西端にある富岡城へ

ここは上に書いたように天草の一揆軍が初めに攻めたんだけど、唐津藩の軍が守りきって、落とせなかったから天草一揆軍が有明海を渡って島原へ合流したキッカケを作ったという堅固な城

なかなかの山城で唐津藩の本城である唐津城よりも立派なお城だよ。

てか、なんでこの時代に福岡北部の唐津藩が天草を統治してたのだろうかな?島原の乱以降は幕府直轄地になっていて、その時の代官が神様として祀られてたりするようで。

富岡城を後にして、天草をピストンでかえる。天草って狭いと思っていたんだけど、かなり大きかったよ。端まで行くのに車で2時間もかかるとは思わなかった。富岡城から今夜のお宿の宮崎県の道の駅えびのへ4時間半の超距離ドライブ。

だけど天草の海沿いのドライブは景色は絶景。海と山のコンストラクションが素晴らしかった。ドライブには良いとこだよ^_^

九州は広いなぁ

今夜の晩御飯、、てか、このお弁当が不味かった。基本的に食べ物を捨てることはしないんだけど、、半分捨ててしまったよ。半額シールとボリュームに釣られて買ってしまったんだけどね(笑)

この日のルート↓

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