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上杉謙信のように越後から越中へ。旅7日目

旅の7日目の月曜は道の駅うみてらす名立でお目覚め。

まず向かったのが前日に暑さと疲れで登るのを断念した春日山城跡へ。

上杉謙信像にご挨拶してから登城へ。

石垣の城でなく土塁の山城というのが、貫禄があって美しい。江戸時代前に平地に築城して春日山城は廃城にされたから石垣で作り直されてないから、謙信公の居た当時をイメージしやすい。

本丸跡からの景色は越後府中平野から日本海まで一望できる↓

さすがは戦国最強と言われた上杉謙信の居城だと思えるほど壮大な山城。城跡を散策しただけで1時間半ほどかかって汗まみれ。

上杉謙信は毘沙門天を旗頭にしていたのは有名だよね。毘沙門天とは悪を大事する神のことなんだとか。なるほど、信州の武田信玄に対して義のために出兵したはずだよ。当時から信州人はタチが悪かったんだろうなぁ。それが受け継がれて今の長野人は真面目でおとなしく安全運転を心がけてる私に因縁をつけて金を脅し取るようなことを平気でしてるんだから。ココは新潟人が謙信公の意思を継いで長野に攻め入って長野県を滅亡させてくれないだろうかと、お城の一角にあった毘沙門天堂でお願いをしてみた。

ココで次に北へ向かって新潟市へ出ようか、南へ向かって富山方面へでて帰路に着こうかと悩んだんだけど、旅も7日目になるとホームシックにかかり始めてるんだよね。

で!日本海側の北国街道を下っていくことに。

まず向かったのが親不知という景勝地。このは古来よりの交通の難所として有名で江戸時代までは下の海岸線を命がけで歩いていたとかで、松尾芭蕉が俳句に読んでるらしい。ブラタモリでも取り上げられたとか。

明治になって道が作られ鉄道用のトンネルも開通したとかで、今も当時の鉄道用のレンガ作りのトンネルが残ってる。↓

このトンネルを通れるようなんで真っ黒な中を歩いてみた、、正直にチヨツト怖くてちびりそうだった、、

次に向かったのが船見城趾。

このは越後と越中の要所の城があった場所らしい。城跡に立派な模造店主が建てられてて入館料200円。何でも地元の有力者が建てて町に寄付したものだとか。中の展示はガッカリ以下。ただの展望台でしかなかったから、200円の無駄だったよ。

次は富山城へ。

ココは戦国時代に一向一揆衆や越後への備えとして地元豪族の神保家が築城したのが始まりで江戸時代に加賀前田家の領地だったのが分藩されて富山前田藩10万石のお城へ。

今の天守は終戦後に建てられた模造天守で郷土資料館210円になってる。展示は富山城の歴史をわかりやすく解説されててなかなか勉強になって楽しかった。

続いて観光案内所のお姉さんがステキなとこだから是非にと勧めてくれた富岩運河環水公園へ

無料駐車場もあり、公園もヨーロッパにあるような庭園のように綺麗に整備されててとても良いとこだったよ。スタバも入ってたし水上クルーズの船もでてたりと。富山を裏日本の何にもないとかだと舐めてたけど、ごめんなさい。とても富山は素敵なところですよ。

旅7日目のルート

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