道の駅伊万里で目覚めた5日目。
寝ている間に元号も変わってたし。
私の車中泊の旅は、夜は疲れて22時頃には寝落ちしてしまってるんですよ(笑)
まずは玄界灘の絶景ポイントへ
この景色の美しさに、弘法大師も思わず筆を落としたとか(笑)昔の言い回しには弘法大師がよく出てきますね。
で、つぎに向かったのが前から気になっていた幻の城、名護屋城へ
名護屋城は尾張の名古屋城でなく、豊臣秀吉が朝鮮に攻め入った時に日本側の最前線として作られた城です。
まずは博物館でお勉強。
さすが佐賀県、無料ですよ。こう言った文化施設を無料にして知識を深めさせるのは素晴らしい県ですね。
当時の模型
名護屋城は朝鮮出兵時に日本側の最前線として築城され、たつた半年であらかた城の形になったとか。
規模は、当時は大阪城に次ぐ二番目の大きさだったそうで。
設計は黒田官兵衛で築城を担当したのが加藤清正などの九州の大名。築城の名手とそて名の通ったしたちですね。
何もなかった場所に名護屋城を築城し、この城の3キロ圏内に150以上の大名が陣屋を置いたので、あっという間に20万を超える国内最大級の大都市になったと。
兵が集まれば職人や娯楽も必要になってきますからね。
朝鮮側にも日本式の城をいくつも作り、兵や物資の輸送、連絡などを密にしていたそうです。
だけど、ココが繁栄したのは数年だけだつたと。秀吉が亡くなって兵を引き上げたら、この城はすぐに廃城になったと、
数年間だけ20万の大都市になった幻の城です。
城跡のガイドツアーが一時間毎になされているので、せっかくだから申し込みました(200円)
なかなか、詳しい説目をしていただいて、さらに勉強になりましたよ
廃城になったあと、徳川幕府が一国一城令を出したので、唐津藩がこの城の取り壊しをしたようです。
が、唐津藩は小藩で費用がなく石垣の角だけを壊すことにしたそうです。城の石垣は角を潰せば復元ができないとの事で。
そういえば地震で被害を受けた熊本城は石垣の角だけだ持ちこたえてましたね。
費用をなるべくかけずに城を無力化する方法とのことで。
だけど、島原の乱が起こり、島原の乱では廃城になっていた原城に立て籠もって長い籠城をしたということで、
名護屋城の壊し方がたらん、もっと潰せ!と幕府からお達しで、さらに石垣の中央部も破壊したとか。
だけど、歩いた感じでは、ほとんどの石垣が残っている感じでしたけど、これで城が無力化できるんですね。
たしかに、壊されたところは人が登れるので、攻めやすくなるんでしょうかね。
天守台↓海から一番見えれところにあります。当時の天守には金の瓦を使われてたと。秀吉らしい。
秀吉の有名な金の茶室もこの名護屋城で使われていたそうです。
大変楽しいお勉強でしたよ。
もっと晴れてたらよかったんだけどね
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