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朝起きたら雪国になってた、、琵琶湖一周の日

3日目の朝は道の駅 妹子の里でお目覚め。夜中は結構冷え込んできたから電熱ベストを着用。雪がかなり降ってたようで朝起きたらビツクリポン。車の上に積雪5センチほど

この日は大津の坂本から比叡山に登る登山ルートで信長の比叡山攻めを体現してみようと思ってたんだけど、平地でこれだけ積もってると山の上では3倍以上の積雪だろうから、登山の雪対策を用意してないから断念。

行き当たりばったりで琵琶湖を周回することに。

まず向かったのが白鬚神社。

ココは観光ガイドとかでよく目にする琵琶湖に浮かぶ鳥居がある神社。なんでも近江で1番古い神社だとかで、今の社殿は豊臣秀頼と淀殿が片桐且元を奉行にして建てたものだとか。例の家康が豊臣の金銀を使わそうという策略に乗って秀頼がアチコチの寺社仏閣を直させたというやつの一つらしい。

天気は晴れ間が出たかと思ったら雪が降り出したりと、分単位で変わる感じ。道路には雪が積もってないというか路肩から水を車道に凍結防止で撒いてるんだよね。水は琵琶湖があるから無尽蔵にあるし、撒いた水は琵琶湖に戻るからエコなシステムなんだろうなぁと。てか、こんなシステムを作らないといけないほど滋賀県北部って豪雪地帯だったんだと知ってびっくり。

次に向かったのが長浜市の国友鉄砲ミュージアム。300円

国友は堺と並んで鉄砲鍛冶で有名な場所だというのは知ってたんで、興味があったんだよね。

古くて小さいミュージアムだけど、入ったらビデオ上映してくれて国友の鉄砲の歴史をお勉強。それから火縄銃の展示や作り方の展示やらで、歴史好きなら楽しめる感じ。

次に国友から関ヶ原方面へ移動して、まずは玉城跡へ。玉城は関ヶ原の戦いの時に西軍は豊臣秀頼を総大将として参陣するように願ってたんだけど、うまくいって秀頼が参陣したら本陣をおいてもらおうと整備された山城なんだとか。登山口に駐車して整備された道を20分ほど登って山頂の玉城跡へ到着。

当時の面影は全くわからずに、とりあえず登ってみただけという感じ(笑)

次に不破関資料館へ。

ココは古代日本の最大の内線と言われてる壬申の乱の大海人皇子(天武天皇)の本陣が置かれた場所。この地を押さえたことによって、大友皇子軍が東からの支援が得られなくなり、天智天皇側が勝利することになった場所だとか。関ヶ原の戦いという壬申の乱といい、この地を押さえないと天下は獲られないという要害の地だったということらしい。

次に不破関から1キロちょいのところにある松尾山へ

そう、松尾山といえば歴史好きなら絶対に知っている場所。関ヶ原の戦いで家康に内通していた小早川秀秋が陣を敷いていた山。関ヶ原の戦いの終盤に小早川軍が山を降りて西軍に攻めかかったことで、勝敗が決まったという場所なんだよね。

↓山頂の本陣跡まで登山口から30分ほど。

パネルに関ヶ原の戦いの両軍の配置が書かれていて、戦局が一望できる場所だったことがよくわかるけど、家康の陣までかなり遠いよ。。催促で家康が小早川軍へ鉄砲を撃ちかけたというけど当時の火縄銃の射程距離って100mほどだっただろうから、届くはずないような、、

関ヶ原を後にして、また琵琶湖方面へ。途中雪がかなりの強さで降り出して寒くなってきたから、お風呂で温まりに香良の湯へ250円。最近の銭湯はほとんどがスーパー銭湯化して料金も上がってきて1000円ほどするんだよね。250円はありがたいよ。

お風呂で温まってから、琵琶湖をぐるっと回って振り出しの道の駅 妹子の里へ戻っできた。

車で走ったり時にかなりの雪が降ったりしてたし。天気予報だと土曜から自腹か雨マークのようで、、当初は東北を目指そうと思ってたんだけど、今回は雪と雨ばかりだから安全と気分のノリを考えて、天気のいい後1日、金曜に観光して広島に帰ることにしようかと、、

この日のルート↓

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