こんばんは、たなおです。
今日は快晴の土曜日です。
当然のように山に登って浄化してきました。
多くの登山客がいて、山ではみんな仲間意識が生まれるのか、見知らぬ方とも仲良くお話できます。
しかも、お互いに山に浄化されてますから、とてもさわやかな会話になります。
街中ではありえないことだと思います。
何かで読んだ事ですが、
縄文時代までは身分の上下は無かったそうです。
みんな平等で貧富もなし。
それが、
稲作が始まってから身分が生まれ、貧富が生まれたとか。
この説は、諸説ありがたくさんある中のひとつだとは思うのですが、
証拠として武器で殺された骨が出ててくるようになるのも、埋葬で身分差が見られるのも稲作以降だとか。
人は便利な生活を手に入れるにつれ、人の心を忘れてきたのではないでしょうか?
しかし、近代にはいり、かつては奴隷制をしていた欧米が、考えを間逆に変えて、人間は平等だというようになっています。
が、せかせかした日本社会では、まだまだ平等という認識が遅れているように思いますが、、、
山ではみんは心が浄化されてるからか、縄文人の心にもどるのですかね。
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