スポンサーリンク

ツワモノどもが夢の跡。

昨日も涼やかな天気。猛暑は終わったのかと思いきや、また来週から暑くなるとか。

涼やかな天気はだから、どこかに出かけようかと検索したら、北広島町に吉川元春の邸宅跡があり、資料館もあるとか。近場でも知らないところがまだまだ多いですね。

車で1時間半。当然、下道で。てか、少し前までは高速使うのが当たり前と思ってたけど、時間的に30分も変わらないし。高速使う必要ないどころか金の無駄遣いだった事に気がつきましたよ(笑)

資料館、歴史の庭歴史館に到着。

ここは吉川家の元々の所領で、吉川家についてのお勉強。この写真の左側が吉川元春の隠居屋敷跡です。

吉川元春とは、毛利元就の次男で、母方の実家の吉川家を相続しました。元々は毛利家と吉川家は対立していたらしいですが、毛利元就が強大になると吉川家がすり寄ったか、毛利元就が、労せずに吉川家を味方につけるべくか、おそらく両家の思惑が一致したのでしょう。

毛利元就の三本の矢の逸話はご存知だと思いますが、吉川元春は三本の矢の1人です。

元春は朝鮮の役の時に亡くなり、長男もすぐに他界。

家督を継いだ吉川広家は、関ヶ原の戦いで、西軍総大将の毛利家の軍勢の先鋒を務めたが、家康に内応していて、動かずに先鋒が動かないから、毛利の軍勢を戦いに参加させなかった事で有名。関ヶ原の戦いが描かれるドラマや映画では必ず登場する人物です。

吉川元春邸宅跡。

関ヶ原の戦い後、毛利家は減俸され、吉川家も岩国城主に移り。すぐに廃墟と化したようです。

現在は、石垣しか残って無いですが、草刈りなどされて綺麗に整備されてます。

近くにある万徳院跡。元々は吉川家の城だったが、吉川家の菩提寺の万徳院になった。吉川家が岩国へ移る時に共に岩国へ移転して、この地は荒廃したらしい。

ここも吉川家の城跡。典型的な山城。

本丸まで約10分のプチ登山⛰

 

この日に訪れたところは、主人の吉川家が居なくなったら、すぐに荒廃したようです。マジに山の中ですから、誰も管理しなければそうなるんですね。

400年経って、発掘され整備されたようです。と言っても、資料館では私の他に1人だけ。見るからに小学校の校長先生あがりな感じの館長さんが説明してくれました。ここも近々、荒廃しそうな予感(笑)

当時は吉川家の家臣たちも沢山いただろうに。。

ツワモノどもの夢の跡かな。

コメント