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戦果をくぐってきた天下の名城!現存12天守の一つへ

温泉に入ってスッキリしてから、次の目的地へ移動。

大山からは車で2時間。かなりの距離になるんですが、一年ほど前の車中泊の旅で、駐車場から1時間近く歩いて目の前まで行ったのに財布を忘れて中に入れなかったという、お間抜けな場所、備中松山城

向かう途中でゲリラ豪雨が!

かなり強い雨が

大雨洪水警報が発令される。

豪雨が続く中、シャトルバス乗り場に。

ここは登山口の駐車場は数台した止められないので、一般車は麓に駐車してシャトルバスで登山口まで行くことになります。

前回は朝早くに着いたのでシャトルバスを使わずに徒歩で30分くらい歩きました(笑)

この時の時間は16時なので、雨が止むのを待ってたら入城時間の17時を過ぎてしまうので、すぐにシャトルバスに乗って登山口まで

登山口から備中松山城まで約1キロ、20分を歩いて登ることに。

この時の雨は、推定20mm/hはあるような、かなりの豪雨。

登城道の石階段に川のようになって雨水が流れ落ちてきてますよ。

流石にこの雨量は靴の中までビチャビチャ

なんとか天守へ到着 

入城料300円支払って中へ

このお城は、江戸時代の建物が残っている現存12天守の一つ。山城で残っているのはこの備中松山城だけだとか

山の山頂にあるため、難攻不落の名城。

岡山県高梁市あたりは霧が濃い地域ですが、この備中松山城は霧の中に浮かぶ天空の城としても有名です。

他の天空の城と有名なのが、兵庫の竹田城跡や島根の津和野城跡ですが、多分天空の城と言われてる城で天守が残ってるのはここだけじゃないですかね?

歴史的にも重要な場所にあり、古くから戦乱の中心になってきたと

戦国時代後期には、毛利と織田信長の勢力の最前線に位置しているため重要な役割を果たしたようです。

江戸時代の初期の領主が築城の名手と名高い人だったとかで、この城主が今の近代的な名城に整備したとか

江戸中期に世継ぎがなく改易された時に城明け渡しを、赤穂藩浅野家が行うことになり、城明渡しに来たのが赤穂藩の家老、大石蔵之介だったとか。大石蔵之介は次の領主が決まるまでの約一年半の間、この城にとどまっていたとか。

その数年後に、忠臣蔵で有名な大事件が起こりました。

赤穂藩主浅野内匠頭の松の廊下での刃傷沙汰で赤穂藩お取り潰し。その時に赤穂城の引き渡し責任者が、備中松山城を受け取りに来た大石蔵之介だった。

スムーズに赤穂城明渡しがなされたのは忠臣蔵の有名な話。

攻守は逆だけど、一度経験してましたからね。

明治になって廃城が決まりましたが、山奥にあるため取壊しなどが行われなかったので残ったとか。

で、昭和15年に皇紀2600年事業として保存の為に修復がなされて、その後平成13年にも再度修復されて、現在に江戸時代の姿をとどめています。

ここは、自然の岩を利用してるんですよ。

奥側が自然の岩で、その横に石垣を並べてます。美しいです。

ここは大河ドラマの真田丸でオープニングに使われていたそうです。

 

まさに戦うための城!天下の名城ですね。

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