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大山から米子、遺跡探訪

昨日の大山登山の続き

下山後に温泉入ってサッパリしたつぎは

大山から車で15分のところにある弥生時代の遺跡跡 妻木晩田遺跡(むきばんだ)へ

ここは弥生前期から中期にムラが形成された遺跡だそうです。

遺跡跡からは青銅鏡なども見つかり、そこそこの権力者がいたらしいとか。

また、魏志倭人伝に記載されている

ここでは竪穴式住居が400以上、掘立柱住居が500以上の跡が発掘されており、吉野ヶ里以上だと言ってる人もいるとか。

まあ、施設としては九州車中泊の旅で訪れた吉野ヶ里遺跡とは復元されている規模や施設で雲泥の差でしたが、あちらは国立で入館料も必要でしたが、この妻木晩田遺跡は鳥取県立で無力。

再現されている竪穴式住居や高床式の掘立柱建物も小規模で少なかったけど、わざとらしい演出がなく自然な感じの展示がいい感じかなと。

昨日は大山山頂で吹雪いていたように天候のうつろいやすい日で、見学中に雨が降ったり止んだり。

虹が出て、久々にみる虹にちょい感動🌈

 

 

次に向かったのが、米子市。

米子市役所の向かいにある山陰歴史館。

ここは旧米子市役所庁舎跡で市役所駐車場に停めれば駐車場代2時間無料。

しかも入館料は300円が学生証を見せて学生無料^_^学割威力すさまじ(笑)

ここでの展示のメインは米子城

城は現在は残っていないをですが、戦国時代に吉川広家によって築城開始されたとか。吉川広家は今年の夏に訪れた戦国の庭歴史館でお勉強しました。

吉川広家が、月山富田城(車中泊の旅中国で訪問)の城主時代に築城を開始したんだけど、関ヶ原の敗戦だ岩国へ移封し、次の領主中村氏の元で完成。だけど中村氏も跡継ぎがなくお家断絶で加藤氏をへて、鳥取藩へ。

鳥取藩家老の荒木家の下で明治維新まで続いた。

しかし明治の廃藩置県で民間に払い下げられ、建物は売り払われて解体されたとか。

ついでに近くにある城跡へ。

海側の小山の山頂にあり、石垣や天守台は残っています。

天守台に登ると米子市内を一望。海側は中海や日本海も一望でき、もしも城が残っていたら天空の城として美しかっただろうなという姿が容易に想像できました。

 

で、この日は車中泊で一泊してもう1日、山陰を散策する予定だったけども、昨日の記事で書いたように、仕事の電話の嵐。

大山の美しさを満喫して山頂間近で電話

今日は旅に出てると言ったのに同じ人からあと3回も。馬鹿じゃないな!

次に別の人から同じく3回。

マジに気分が悪くなり、泊まらずに4時間かけて帰宅。

 

良い旅をしてただけに台無しにされてマジがっくり。

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