スポンサーリンク

信濃へ攻め登る旅4日目

車中泊の旅4日目は岐阜県土岐市の道の駅志野織部でお目覚め。

まず目指すのは1番高い標高に立ってるという岩村城へ。この城は織田信長と武田勝頼の勢力の間にあった城で戦乱を見てきたお城。そして武田滅亡の知らせを信長はこの城で聞いたとか。山城だけど車で登れる道ができてるからスイスイと登城。建物は残ってなくて再建もされてなくて石垣だけなんだけど、そういうのも楽しい。

そしてパネルのQRをスマホで読むとCGで再現された当時の姿を見られる。

↓今の姿

↓CGで再現されたかつての姿

金をかけなくてもわかりやすい見せ方をしてくれてるなぁ。

次に向かったのが、苗木遠山資料館、イオンカード見せて割引270円

ココは遠山家が鎌倉時代から治めてた地だったけど豊臣時代に城を追われたけど関ヶ原の功績で遠山家が領地を取り戻したとか。そして明治まで移封されることなかったらしい。しかし石高は1万石。ギリギリ大名の石高。この石高で城持ち大名って他にいないよなぁ。

資料館から徒歩10分ほど登って苗木城へ。この城は山城ランキング1位の城だとか。

自然の岩山を利用して断崖の上にあるので天空の城と言われて美しい。

東美濃の山城を堪能したから、次は木曽路を東へ向けて走ること1時間半ほどで次の目的地への”寝覚めの床”へ

このは木曽八景に選ばれる絶景の場所だとか。木曽川が巨石の中をくぐって流れる場所。結構たくさんの人が来てた。

岩をまたいで奥へ行くと浦島堂が建てられてる。

なんでも浦島太郎が龍宮から戻って諸国を旅してたところ、ココが気に入って住み着いて、ふと龍宮からもらってきた玉手箱をココで開けたら300才になったという場所だとか、、浦島太郎が使っていた釣竿が残ってるらしい、、、伝承って、、どう考えても嘘なのも多いよなぁ、と思うのは私だけ?

次に向かったのが高遠城へ。ココは徳川秀忠の隠し子を高遠城主が養子としてあとを継がせた保科家のお城。その後に保科正之は家光に兄弟の名乗りを受けて重臣として幕政に参加し、その後に松平性を許され幕末に活躍する会津松平家へ繋がるだよね。

資料館を楽しみにしてたのに、展示の入れ替えで休館、、(泣)

↓お庭にあった保科正之の像だけ見て

お城へ上がったんだけど、建物のなんにも残ってない。桜の木が所狭しと植えてあって桜公園でしかなかったよ。なんか残念。

気を取り直して、今夜のお宿へ。今夜は松本市の道の駅今井恵の里 ココは標高が630mで、はっきり言って寒い、、

毛布を持ってきておけば良かった、、

この日のルート

コメント