車中泊の旅-第四弾
今回の旅は、歴史好きな私が行きたかった地、奈良-高野山の旅です。
奈良は、今まで2度行ったことがあります。
1回目は小学生の時の修学旅行で大仏を見に行った覚えがあります。(京都北部の出身なので)
2回目は、2年ほど前に、彼女と奈良・京都旅行をした時に大仏を見に行きました。
2度とも大仏見て終わりというだけのもので、奈良は飛鳥や平城京など、古代日本が国家として誕生していった地です。行きたいところがたくさんあり、また、聖地といわれる場所もたくさんあり、ゆっくり訪れたいところでした。
5月9日 第一日目
前日は早めに寝て、深夜2時前に出発しました。
基本的に高速道路を使わずに移動するので夜中のほうが車が走りやすいためです。また、移動距離が長いので、日中は移動でなく観光に時間を使いたいので夜中移動を。
走ること、9時間、途中に姫路PAでトイレ休憩したのみで、最初の目的地に到着。
平城京跡歴史公園です。
ここは2018年3月にオープンしたばかりの施設で、今後、順次、平城宮の建物を復元していくようです。
駐車場に車をとめて、先ず迎えてくれるのが遣唐使船です。
古代日本は国家のシステムを学ぶために、当時の最先端国、中国の髄・唐に優秀な学生を留学させて、学ばせて国家の基礎を作っていきました。
遣唐使は聖徳太子が始めたと私が子供のころの教科書では書かれていましたが、今は聖徳太子が実在しなかったのではというのが定説になりつつあるようです。
聖徳太子の死後100年後くらい成立した日本書紀で、子孫が絶えた厩戸皇子を偉業をして人物として持ち上げて、聖徳太子という名を送ったようです。
私が思うに、日本書紀は天武天皇・持統天皇が作らせており、おそらく、聖徳太子がしたという、遣隋使や17条の憲法などは、天武天皇の政敵、蘇我氏の功績ではないでしょうか?
蘇我氏は乙巳の変でうたれましたが、歴史は勝者によって書かれるため、敗者は悪者にされるのが歴史の常ですから。
そして、平城宮の入り口、朱雀門です。
この朱雀門のある朱雀大路は幅70mある立派な道です。この門の先が平城宮で天皇のお住まいと役所があります。
毎朝、日の出とともに開門され、役人が通っていきます。遅刻すると、門が閉まってしまい、入れてもらえなかったそうです。
過去も今も朝の通勤ラッシュがあったようです。
朱雀門をでて遠くに見えるのが大極殿院です。大極殿院は天皇が国家の儀式などをされるところです。
門を過ぎてから、大極殿院の間にはたくさんの役所があったそうです。
役所では7000人に役人が働いていたようです。
古代国家で7000人もの役所が必要だったのかと驚いたのですが、当時は中国の政治にならい、中央集権国家としており、律令制度の法の下に、日本各地から税を取るために民衆を管理していたようです。
古代日本でも、結構しっかりとした国家運営がなされていたようで驚きました。
歩くこと10分ほど大極殿院につきました。遠い。。
まだ、大極殿院の本体しか復元されてませんが、この前に周りを塀で囲まれた幅300m*200mの広場があり、そこで、外国使節の接待や国家の祭祀などの行事が行われていたそうです。
大極殿院の中の中央にあるのが天皇の玉座で高御座(たかみやぐら)です。
これは、文献や、京都御所にある現在の高御座をもとに復元されたものです。
思った以上に大きいです。
→来年は、京都御所から高御座が皇居に運ばれて即位の礼が行われます。
いまだに京都御所に天皇の玉座が置かれているので、天皇の居場所は京都御所であり、東京へはお出かけしているだけ。と考え、実際にはまだ、京都が首都であるという説もあります。(明治以降、首都を東京に移すという正式な勅令も法律も出てないそうです)
この平城宮歴史公園の中には資料館が5か所あります。しかも、すべて無料!
ココは奈良県でなく文化庁が管理されているようで、さすがは国営!
で、各資料館でスタンプラリーがあり、回ってみました。
とても広いしきちですので、それぞれの施設に駐車場が完備されています。
正面の朱雀広場駐車場だけ有料(200円/時間)あとは無料
さすがに、歩いて行けるところは歩いたのですが、さすがに疲れてしまし。いくつかは車で移動しました。
で、スタンプラリーのご褒美の、クリアファイルをゲット!
結構歩きましたよ、疲れた、疲れた、
さすがに疲れたので、日帰り温泉へ
すっきり、さっぱり、温泉は気持ちいいです
で、イオン系の量販店 ビッグが近くにあり、夕食の買い物をして、今夜のお宿へ
1日目のまとめ
移動距離 369km
歩行距離 17386歩
使ったお金6789円
(グーグルマップ タイムラインより)
コメント
天武天皇は馬子の子供だって噂があるくらいだよ、嫁の持統天皇も蘇我氏の娘だし。
天智天皇が蘇我氏の敵じゃない?
deefeさん、コメントありがとうございます。
天武天皇が馬子の子供だという説は初めて聞きました。なかなか興味深いですね。
馬子の墓との説もある石舞台古墳もみてきましたよ。
乙巳の変でいるか殺したの天智(中大兄皇子)だよ
書き方が悪かったですね。。。おっしゃる通りです。
天武天皇は天智天皇の息子と争った壬申の乱で絶対的な権力を手に入れたんですよね。
持統天皇は確か、天智天皇の娘でしたよね。
その後、天智系と天武系で皇位の継承争いがあったとかいう話も聞いたことがあります。
持統天皇の母親が蘇我氏だよ。
deefeさん、そうなんですか。
私の仮説は間違いのようですね。
なるほど、勉強になります。