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命は大事にと言うけど、、大事にすべき命の線引きをしてる奴ら

エイプリルフールの昨日は快晴。春の日の快晴は気持ち良いんだよね。

いつものようにお山へ。この冬に見つけた廿日市市の極楽寺山の山頂から1.5キロほど歩いたところにある誰もこない桜の里という場所の桜がきれいに咲いてるんじゃなかろうかとワクワクしながらスタコラサッサと登ってみた。

だけどまだ一輪も咲いてなかった。日が当たる場所に桜の木がたくさんあるのに、、標高が600mほどの場所だから気温は下界よりも5℃ほど低いだろうからそれが原因なのかな?

誰もいないだろうから桜を独り占めして1人花見をしようと思ってきたのに、残念。

桜の木をよく見るとツボミガ結構膨らんでるから2、3日中には咲くだろうなぁと。

だけど水曜からは雨予報なんだよね。誰にもみられることなく散っていくのかな?

てか、桜さんも人間に観られるためだけに咲いてるわけじゃないよね?

いや、ソメイヨシノは人間が得て勝手に品種改良したヤツだから美味しいサクランボをつけることもなく、ただ咲いて人間のナグサミモノになって散っていくだけの命なんだろうか?

そんな桜のワビサビを感じる私って、風流な人間なのかもしれないとか、、まだ咲かないツボミを見ながら自己認証してみたりと。

しかし、桜だけでなく花や木や動物も自然の中で生き残れるように突然変異して環境に適合するヤツだけが生き残っていくというのが自然の摂理なんだよね。それが人間のナグサミモノになるためだけに改良されて人間の庇護がない自然界では生き残れない種を作り出してるのってどうなんだろうか?

ブタや牛とかの家畜も同じように人間が美味しく食べれる為の種を作り出してて強制的に繁殖させられて殺されて食われるという一生。

これは完全に自然への冒涜だし人間は神様になった気になってるのだろうか?

だけど、そうやって安価に繁殖して育てたらる家畜がいるから美味しいお肉が食べられるんだけどね。

それが最近では食べるためだけに繁殖させて太らせて殺して肉にする為の家畜に、幸せな一生を遅らせるべきだという運動が欧米で大きくなってきてるとか、、劣悪な環境で家畜を育てるのは可哀想だということらしいけど、、だけど最終的には肉にするんだよね、、最終的に肉にするのは反対してないんだよね。

なんか、欧米のそういう価値観がよくわからんのは私だけ?

全ての人種に人権をというのの延長線上に全ての命を大切にぬんだろうけど

 

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