スポンサーリンク

信長が愛した芸能を垣間見ました

今日は一日中、雨がチビチビ降る予想。せっかくの日曜なのに山登りはできない(泣)

かといって普段は家に缶詰だから家に閉じこもりたくないので、近場へお出かけへ

以前行った海の見える杜美術館

ここは宮島の対岸にの山の上にあるので、宮島の鳥居や弥山も一望できるんですよ

また、駐車場から遊歩道で五分くらい登る形になるんですが、遊歩道沿いに桜や梅などがたくさん植えてあり、のんびり木々を楽しめるようになってます。

↓遊歩道はこんな感じ

↓しだれ桜ならぬ、しだれ梅ってあるんですね。

ピンクの梅だから一瞬、桜かと思いましたよ。近づいて葉を見ると、間違いなく梅でした。

対岸の宮島のを眺めると。水が見えるのは川でなく海ですよ。瀬戸内海ってホント島ばかりで狭いんですよね

で、前回来た時は、西南戦争の浮世絵展でした。

今回は幸若舞曲。こうわかぶきょく、

 

みなさん、幸若舞曲つて知ってましたか?

私は今回初めて知りました。

江戸時代末までは能と同じくらい人気のある芸能だったそうです。

題目は源平合戦や源義経を主人公にしたものや鎌倉時代の曽我兄弟の仇討ちの顛末を題材にして、龍が出てきたりとファンタジー的な要素も加えて作られた舞で、44の演目があり、室町時代から江戸時代に流行ったそうです。

が、明治と共に廃れてしまい、現在は幸若舞曲は残ってないそうです。(福岡に幸若舞曲を偲べる舞があるそうですが直系のものではないとか。)

だけど、誰もが知っている織田信長が桶狭間の前に舞ったという敦盛!

人生50年、下天のうちを、くらぶれば、夢幻の如くなり。

と言うアレです。

この敦盛こそが幸若舞の一つで、源平合戦の平敦盛の最後の場面を舞ったものです。

戦国時代から江戸時代にかなり流行ったらしく、信長も大ファンだったと。

江戸時代には、この幸若舞曲の風景を絵巻物としてたくさん作られ、大名などがその絵巻物を収集したりしてたのが今も残っていて、その絵巻物の展示でした。

舞自体は、現在は廃れてしまってるので、どんな舞だったかは絵巻物から想像するしかないそうです。

当時の大名のルーツが鎌倉時代にある事が多く、また、武芸なども源平合戦がルーツとからしくて、戦国大名から江戸時代の大名に人気だったという事らしいです。

絵巻物も大名クラスの道楽なので、かなり豪華な仕様のもので、金屏風や金縁の絵巻物で、絵もかなり細かく緻密に描かれたものでした。出来栄えは、素人目に見ても大衆に支持された浮世絵など比べ物にならない精巧で緻密で格調高いものでしたよ。

マジに浮世絵なんて、今で言うと漫画や街中のポスター程度で、幸若舞曲の絵巻物は額に入った高級絵画ほどの違いがありました。

なんで、幸若舞曲の絵巻物、あまり知られてないんだろうと思いましたね。

 

江戸時代の武士の時代の終わりと共に、消えていった幻の芸能をかいまみました。

 

コメント