今日も道の駅に停めた車内での目覚め。
なんだか、こんなジプシー生活が当たり前の事に感じ始めた(笑)
平成最後の日の4月30日の目指すは地味な県と言われ続けている佐賀
今は地味と言われているけど、少し前までは日本の最先端だったんですよ。
まずは早稲田大学の創設者として有名な大隈重信記念館へ
大隈公の生家は佐賀、肥前鍋島家の出です。
生家前には立派な銅像が
実は大隈重信記公の事をあまり詳しく知らなかったんですよ。早稲田大学と第一次大戦の時の首相だったことくらいしか。
大隈シアターでお勉強。
さすがは大人物だったようです。幕末の維新では活躍はなかったですが、若い頃から先見の明で必要な学問を修め、リーダーシップもありカリスマ性も
大隈重信は早稲田大学で学生に向かって語った、
君たちは必ず失敗をする。ずいぶん失敗をする。
という演説は当時としては画期的でししたでしょう。
まだラジオもない時代だから、かなりの数の演説を行い、その人を引きつけれ魅力はすごかったらしいですよ。
次は、鍋時直正の巨大な銅像が立っている佐賀城跡へ
こちらが佐賀城の御門。
佐賀城本丸歴史記念館へ
佐賀県は太っ腹で、かなり素晴らしい展示をなされてるのですが、料金は無料だと
ココでは鍋島直正公が若くして藩主になって、藩の財政再建、家臣の教育施設を整備して、家柄主義を廃止して、藩校で有能な人間はドンドン取り立てる、また、ペリー来航以前から外国の脅威を認識して、鉄を作る反射炉を日本で初めて作つたりと、大砲や蒸気機関も作ったとか。
最先端の藩主として薩摩の島津斉彬が有名だけど、そのはるか先を行っていた人のようです。
で、幕府がペリー来航で慌ててお台場に大砲を設置するので佐賀藩に大砲作りを依頼したらしいです。
薩長土肥の最期の肥はこの肥前藩ですからね。
戊辰戦争で、アームストロング砲などの最新兵器は肥前藩の持ち物だったようで、薩摩長州だけで幕府に勝ったイメージがありますが、肥前藩がいなければ軍事力で負けていたかも。。
この人が鍋島直正公。肥前35万石のお殿様だったんだけど、維新後も明治政府に出仕して北海道開拓などに尽力したとか
鍋島直正、素晴らしいですね。
つぎにお隣の佐賀県立博物館へ
ココも無料ですよ。
展示はシンプルでしたが(本丸歴史記念館が素晴らしすぎたから比較で)、わかりやすくシンプルにまとまっていました。
佐賀県、地味じゃなく凄いぞ!
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